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昭和49年我が佐野高等学校(佐高)は商業科と分離し普通科と商業科の2つの科となっ
た。商業科は佐野商業高等学校(佐商)現在の佐野松陽高等学校となる。運動部員の大半
を占めていた商業科の分離に伴い佐高の運動部の運営は厳しいものとなった。野球部も例
外ではなく、2年・3年生の部員は一人もいない状態であった。その年入学した私たち1年生
10数名(OB会1期生)が野球部を存続させるため、校長室へ駆け込み、鈴木章介校長先
生に直談判音を行い存続への意思を確認した。 その時に部長として内田音重郎教頭先生
、監督として加藤弘先生、コーチとして中田東洋男先生を紹介頂き、その足で3人の先生の
ところへ野球部存続をお願いに伺った。3人の先生は快く引き受けて頂き佐高野球部の新し
い第一歩が1年生だけ13名の部員で5月にスタートした。しかし、部の運営は簡単にはいか
ず、道具においては帳簿上は佐高と佐商で二分されているなっているが、現状は穴のあい
たミット、耳あてのないヘルメット、ゴムの伸びきったプロテクターレガース等、使えない道具ばか
り残されており練習もままならない状態であった。その上分離にともない生徒数も減り、生徒
会費から支給される部費も分離前の185,000円からいっきに60,000円に減少し道具も
揃えることができな状態であった。練習も満足にできず、試合どころではなかった。
そんな時内田先生は、苦労して新しい道具を揃えてくれ、その上練習試合の予定まで組
んで頂いた。部員全員が中学時代野球部に在籍していたが、初めての硬式での試合なので
不安な気持ちもあった。その反面、甲子園という目標を持つことができ、その一歩を踏み出
すという嬉しさもあった。部員数が少ない為練習も思うようにできなかったが、50歳を超える
年齢の内田先生も一緒にグランドで毎日のよう沢山汗を流し、そして私たちにいつもで笑顔
で言葉をかけ、心の支えとなってくれた。 夏・秋・春の大会に一緒にベンチに入り私達を
勇気づけてくれた先生でしたが、春の大会後入院し、秋には戻らぬ人となってしまった。
佐高野球部存続のため初めて野球部の部長を引き受け、陰の力持ちとなり、1年間一緒に
グランドで汗を流し心の支えになってくれた内田先生の心はいまでも佐高野球部に残っている
と思う。内田先生あっての野球部だと・・・
《佐高野球部第1期卒業 茂呂 剛士》